期日 令和7年7月5日(土)・12日(土)・19日(土)・26日(土)
時間 午後1時30分~3時30分
会場 佐野市中央公民館
主催 安蘇史談会 佐野市文化協会 佐野市
7月
5日(土)「唐澤山城の歴史」
(公財)佐野市民文化振興事業団事務局長 出居 博氏
12日(土)「両毛鉄道と安蘇馬車鉄道・佐野鉄道」
安蘇史談会会員 茂木克美氏
19日(土)「太田南畝(蜀山人)と新楽閑叟(馬門・愛閑堂主人)~江戸第一の文人と佐野市出身の探検家・医師~」
江戸文人研究家 長澤和彦氏
26日(土)「鐙塚町の古代から現代まで~伝承の世界を含めて~」
安蘇史談会会員 大川圭吾氏
~講座のご案内~
「大田南畝(蜀山人)と新楽閑叟(馬門・愛閑堂主人)―江戸第一の文人と佐野市出身の探検家・医師―」
大田南畝(1749~1823)は、御家人という微官(御徒)ながら、十代より狂詩作者寝惚先生として全国に名をはせ、その後は狂歌作者四方赤良として一派をなし、後に蜀山人と名乗った。一方有能な官吏として、孝義録の編纂や大阪・長崎へ出役している。全集(二十巻)が刊行されたが、江戸時代の事を知ろうとする人には欠かせない江戸第一の文人である。
新楽閑叟(1764~1827)は南畝同様に幕府の微官であったがその名を知る人は少ない。佐野市越名馬門を郷里に持ち、寛政応試に及第する有力者でありながら、及第後数年で家督を聟の金十郎に譲り、足利・出雲崎・水戸などを巡り、後には箱館奉行の雇医として蝦夷地からエトロフ島まで二度従事し、文化四年にロシア人のエトロフ島攻撃の第一報を送った。出版物はないが、多くの書簡類が平田篤胤編『千島の白浪』に収められ、また七弦琴に関する重要な著作などをしている。
今回は、新楽閑叟について今まで知られていない栃木県との関わりやその業績、及び大田南畝と縁戚関係にあることなどについて触れる予定です。
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なお、資料代として1,000円が必要です。(当日徴収)
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